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10.人魚変生 〜夢の話

こんな夢を見た。雰囲気からすると、昭和初期だろう。「私」は二十歳前後の男性だった。

その夏、私は久しぶりに呉から実家のある瀬戸内の小島に戻った。夕暮れ時に到着し、家に上がろうとすると、後を追うように父が戻って来た。
私が驚きの声を上げたのは、父の突然の帰宅だけではない。
その肩に、紅い着物を着た、おかっぱ頭の5,6歳ほどの女の子を担いでいたからだ。自分の肩に腰掛け、頭にしがみついて、じっとこちらを見ているこの子を示し、
「人魚だよ」と、父は言った。

家には兄も戻っていた。兄は海軍将校であり、普段は私と同じ呉の官舎に住まいしている。その白い制服は真夏の日射しと相まって、いつもとても眩しい思いで見上げている。
私にとって、兄とはそういう存在だった。
兄も、父の連れてきた「人魚」にいたく興味を示し、抱き上げたり話しかけたりした。
私はといえば、その「人魚」を傍目で見ることはあったが、自分から触れたり話しかけたりすることはなかった。なぜかは分からない。ただ、近づきたくなかった。
私のそんな気持ちを読んでか、「人魚」も私を冷たく見返すばかりだった。その黒く大きな瞳を見ると、深い海の底に沈んでいくような気持ちに囚われ、思わず身震いをするのだった。

「人魚」は、決して喋らなかった。無表情にただ一点を見つめるばかりだった。それでも、父や兄に対しては表情の片鱗ようなものを返した。
父は、それはそれは「人魚」を可愛がった。
一緒に檜の風呂に入って洗ってやり(「人魚」というが、人間のような足はちゃんとあった)、鹿子絞りの紅い着物を自ら着せ、三度の食事には絹の座布団を五重に敷いて座らせる。漆塗り金蒔絵のお膳を三つ揃え、陶磁白磁に山海の幸を盛り合わせたご馳走を並べて差し出した。

「人魚」はその愛らしい唇を開くことなく、ただ、目の前のものをぼんやりと見つめるだけだったが、
それでも父はたいそうご満悦だった。

しかし、その島に某という大学の博士が訪れ、講演を開いた時、事態は変わった。講演の内容はよく覚えていない。おぼろげながら思い出すに、曰く「人魚は人を食する。危険極まりない生物ナリ」だったはずだ。
その講演が終わった瞬間から、島から人々の気配が消えた。警察が手引きして、島の人々を逃がしたのだろう。
島の人たちは、父が「人魚」と暮らしているのを知っているからだ。
帰りの坂道を上っている時、道ばたに座り込んで網を繕っていた漁師の老人がぼそりとつぶやいた。
「人魚はおえんわ(駄目だ)。ありゃフカじゃけえ」

夕暮れの家に戻ると、しんとしずまりかえっていた。広い部屋は暗く、それでも日が沈む前の最後の陽光で、うっすらと赤くなっていた。
足下には、手足の無い父が息絶えて転がり、側にはやはり足と内臓の無くなった兄が倒れていた。兄は、その絶え絶えの息の下で、ここで起こった出来事を話してくれた。

昼間兄が戻ると、下働きの者達は誰もおらず、この座敷で父が俯せに倒れていた。
「ヒイ、ヒイ」と呻く父の尻には、あの「人魚」が囓りついている。父はすでに手足を失い、虫の息だった。
兄は「人魚」を抱き起こし、その瞳を覗き込んだ瞬間、自分の中に潜んでいた「人魚」に対する愛情を悟った。「人魚」は兄の気持ちを最初から分かっていたのだろう。黒い瞳をくるりと返して白い魚のものに戻し、にっこり笑った。
耳元まで裂け、大きく開いた口の中、何重にも連なった鋭く尖った歯さえ、美しいものに見えたという。

兄は最期にこう言った。「人魚の愛は、食すことだからこれでいい」と。

全ては数年前の想い出である。
人魚の愛は野蛮だと思っていた私だが、時間が経ち、次第に考えは変わっていった。彼らの愛情の、なんと美しいことか。なぜなら「人魚」は、父と兄を喰らいながら血の一滴も畳に落としてなかったからだ。
全てを受け入れ、自らのものにして海に戻った「人魚」。

それに比べ、我々人間の争いは血を飛ばし、手足を飛散させ、まことにもって醜きを極めるものだ、と。
この後、私は戦艦に乗り、遠い海に向かう。陽の当たる海上を、血と油で汚染しに行くのだ。

その真下、深く暗い海の底には、あの「人魚」はいるのだろう。おそらく、父と兄の子を産み、育てているに違いない。

終(99.12.28)

11.人魚変生 後書き

この話は数年前、私が実際に見た夢の話しである。しかも「夢を見て、一度目が覚めて、すぐ寝直して、また同じ内容の夢を見た」という曰く付きのもの。

私が思うに、高橋留美子の「人魚の森」シリーズと、山田章弘の「人魚変生」と、杉浦日向子の「百物語」の一遍が、混じり合って影響したのかもと思う。
・・・にしても、三冊とも久しくひもといてないんだけどねえ・・・。

このストーリー、結構気に入っている。日本画調でどなたかに挿し絵を描いて欲しいという野望も、密かにある。

夢に関しては、まだまだあったりする。小口の話は、またの機会に。(99.12.28)


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